彼女さんと「ソラニン」を見てきました。以下ネタバレあり


見るにあたって原作を読みまして。それが非常に良かったこともあって実際に見るまでまた原作クラッシャーじゃねえの、と思っていたのだが、予想以上にいい映画になっていました。

とにかく映画全編を通して、芽衣子と種田の絡みが可愛らしく、愛らしい。2人でごろごろしたり、一緒に日記を書いたりしている時のにこにことした宮崎あおいの笑顔や、高良健吾の軽い口調の一つ一つが可愛らしい。その可愛らしさだけでも一見の価値はある(というのは言いすぎかもしれないが)。

物語は途中途中に芽衣子の退職、種田の音楽における挫折、そして死という現実や打撃がそこに加わり、可愛らしさや楽しさだけでは乗り切れない、やりきれないものたちが次々と現われていく。そしてその解決を保留しながら乗り切ろうとする芽衣子と、その状況を音楽でナントカしようとする種田――彼もまた、解決できない問題は結局保留してしまうのだが――それぞれの思いが痛いほど伝わってくる。思っていたのとだいぶ違う現実に対して、「まぁいっか」で生きることが出来ない二人と、それを見守る仲間たち、それぞれの思いが切り取られていく。しかし、現実自体はなんも変わっちゃいない。

結局種田は死に、芽衣子もまた現状が変わっただけ。なのになぜか、希望を抱かせる。それはライブシーンやラストシーンで芽衣子が見せる顔が「生きている」からなのではないだろうか、と思う。前半、制服に身を包み死んだ目で空が狭いとつぶやく芽衣子と明らかに異質な血の通ったその顔が、見ている我々に希望を抱かせてくれる、そんな気がするのだ。




なんて評論家ぶって書いてみました。3ヶ月ぶりの更新がこんなんですまんね