ガキ臭い人間関係において

「彼らに」問題があるとか「僕に」問題があるとか「問題の所在、位置」を捜すことは何の意味も無くて、「問題の有無」のみが人間関係においては重要なんじゃないかと思うんだ。「彼ら」も「僕」も考えているのは「相手に問題がある」ってことである以上双方の思う「問題の所在、位置」はあくまで相手に存在するんであって、「相手が自分と相容れない」=「相手は自分の価値観にそぐわない」=「相手は問題がある」っていう結論に至るわけだ。ただ「自分の価値観」は周囲に影響されて構成されてきたものだからどちらかと言えば「自分(とその周辺人物)の価値観」と言える。そして結局それは「常識」として認知されるわけで、当然そこにそぐわない「問題のある相手」を弾き出すことがもっとも効率の良い解決策だ。それと同じ考えで全て説明がつくんだと思う



結局何が言いたいかって言ったら相容れない奴が多すぎだバカヤロウってことですよね