YUMEGIWA LAST BOY

無機質なものはすごくかっこいいと思う。
「人は自分にないものに憧れる」と言うけれどたぶんそれと似たようなもので、どんなものであっても人間の手を介したものである以上完璧に有機質的な部分を排除していくことは絶対に不可能なわけで、だからこそ無機質なもの――この文章における定義で言えば『無機質に限りなく近いもの』――はすごくかっこいい。少なくとも僕にとっては。生命的な部分、熱とか、感情とかを排除したものはすごくスマートで、余計なものが一切含まれていないものっていうのは恐らく地球上で生まれることはないだろうけど、だけど無機質さが含まれるものは本当に美しい。僕はそういう音楽だったり生き方に憧れているわけだけど、たぶん僕にはそういう呼吸の仕方は出来ない。だから僕は情念や熱や心、憧れていたはずの無機質さからかけ離れたものに頼っていくんだと思う。なぜかって、僕はまたそれもかっこいいとおもうからだ。無機質と有機質は必ずしも矛盾しない。徹底的に無表情、ただメロディーを乗せてストレートに歌われた音楽と、汗にまみれて絶叫しながら放たれた音楽が両方ともかっこいいように、無機質と有機質の中には必ずかっこよさ、美しさがある、というお話でした。それでは。